作成日: 20/01/14  
修正日: 20/01/14  

頑張ることの果て

二の舞になりませんように


随分長らく頑張ってまいりました。頑張ればなんとなかるってことを信じてましたし、
それで突破できた時も随分とありました。頑張ってみて、たどり着いたところの風景を
人と享受したくて、人にも頑張ろうと促した自覚もあります。

「なんともならないこと」にも挑みました。負け戦と分かってることでも頑張りました。
何かはつかめると思いました。納得いってなくても、不得意でも「一度は」頑張りました。
ずっとそれでいました。

結論でいうと、頑張っても、駄目な時は駄目でした。失う時は失ったままでした。
頑張って失ったものは、けっこう大切なものでしたし、報われない結果に打ちのめされも
しました。それでも「ずっとそうしてきた」ことから、頑張ってみてました。

半世紀をそうしてやってきました。
ある日、それは終焉を迎えます。

突然「頑張れなく」なりました。
ん?
正確じゃないかな。

「頑張ってるけど、底が抜けました」
そうとしかいいようのないことになりました。

それは仕事中に起きました。
いつものように頑張って、無理でもできなくても、なにかをつかめると思って黙々と
踏ん張っていたのです。無茶も無理も押し通してくるのが「仕事」です。こっちが
納得してよーが、してなかろーが、「なんとかする」のも仕事だし、それが当たり前と
思ってました。つまりは「何でもしてしまう」精神状態で働いてました。

何重にも重なった無茶・無理の要望を無理くり飲み下し「ハイ!」と相手に色よい返事をし
「あかんわな」って用件も「ハイ!」とやってました。でもある一押しがあったときに
一線を越えたようです。それは「いつもの通りの普通の無茶」のひとつでしかありません
でしたが、きっと私の中の「我慢の容量」を越えたのでしょう。

私は返事をしませんでした。
ボウ、として、ただ相手を見て、なんも考えなくなりました。

翌日、精神科に向かい、仕事に出てはいけないといわれました。

なのに「症状」を伝えるために、私は翌日仕事場に向かってました。
仕事場ではやってた仕事があり、その続きを求められ、やっぱり働きました。

表向き、私は「普通」だったのでしょう。
社長さんにも君は病気に見えない、とか治ってると思う、といわれ続けました。

全然違います。
ぶっ壊れました。



ぶっ壊れました。
「我慢」が一切、できなくなったのです。
厳密には、相手が頼んできたら、私は笑顔で今でも「ハイ!」と請け負う返事をします。

内面では、「ハイ!」と言った矢先に、自分の中で「すぐ捨てます」。

ポイ、となんも考えずに捨てます。
何にもしません。
何にもしないというのは、「内容を聞き取れてもいません」というもので、反射で人に
返事してるだけの状態です。
人間として支障のある対応でしょう?
そんなの自分で分かってます。
分かってるんですよ。

悪いとも思いません。

頑張ってみても、ぶっ壊れてみても、
ああ、報われねえんだなあ、と昔は思えましたが。

今は「考えもしません」」し「感じない」でいなくては、もちません。
狂いますよ。死にますよ。ホント。



我慢をしなくなって、薬を服用して、何にもしなくなって、回復する自分と
向き合います。養生中でも、突然の頭痛や、突然の「無気力」に入り込むと
出先だろうが何だろうが、動きも思考も止まります。

我慢なんてするもんじゃねえなあって思います。
「自分が我慢さえすれば」で収まることも遭ったから、それでなんとかなったことも
あったんです。仲間も失うし、資産も時間も失うこともありました。

心底「したくねえ!」こともあらがって、「一度は」やってきました。
茶番でもピエロでも、やりました。本当に限界までやったら「死んじまう方が楽」でしょう。
死ぬまではしません。それに見合うことなんてない。

だからきっと思った通りに「壊れるまでは、やる」をやり通しました。
壊れました。
底が抜けるだなんて思いませんでした。

最初は1~2ヶ月で治ると思ってたんです。
そうしてたら半年経っても治りませんでした。薬の量は倍々にいたり、今では
服用限界まできました。
でも治んないと、社会に出ても間違いなく迷惑をかけます。なりふりかまわなく
なってる部分を修繕しなくてはね。

表っから壊れると思ってました。
ところが、「ずっと丈夫」なはずのところから、抜けました。
丈夫なところなんてないんです。我慢「できてたうち」は保たせてただけだったんです。

「頑張れることは頑張ろう。できる限りは、できるぎりぎりまでやろう」は
信条みたいなものでした。ですからぎりぎりまでやりました。本当にやりました。
本当にやったから、だから、だから壊れました。

ぎりぎりまでやっちゃ駄目だったんです。
壊れてから言われました。
「ほどほどでやめとけよ」とか「適当に流すことを覚えろ」とか「図太くなれ」って。

あー
あーそーか

これっぽっちのことなのか。

へー

これが頑張ることの果てです。
果てでした。
人には勧めません、もう。