作成日: 20/01/27
修正日: 20/01/27
あの人と一緒に
厚みのある勝利
徳勝龍(今、辞書に登録した)が優勝しました。すっごく気持ちのいい
人が勝ったんですね。知らない人だっけど、新聞記事見たりテレビ見てて
いい勝ち方だなあ、みんなが好きになっちゃうなあと、ニマニマしちゃいました。
今場所は炎鵬もすごくよかった。土俵一杯を使ってくるくる魔法みたいに
早く駆け巡る。だけど卑怯だった事がない。真正面からちゃんと当たってから
くるくる魔法を放つ相撲でしたから、それはもう華麗でしたし、目つきが良かった。
この二人、共通点をテレビで知りました。
徳勝龍は今場所のうちに、出身の近畿大学相撲部の恩師が亡くなられて
いたんだそうです。優勝した相撲の後に「一緒に戦ってくれてる気がしました」
といってるのが、すごく分かりました。すっと腑に落ちる素直さが伴って、
お腹の奥の方まで響く、素直な言葉でした。だから嬉しくなれました。
炎鵬は昔っからの小兵だから、小学生の頃の相撲では負けっぱなしだったんだって。
勝てなくて悔しがってる時に、年上の「北くん」なる痩せっぽちの小兵が、
自分より随分と体躯のいい子と相撲を取って、堂々と勝つのをみて、ビデオで
見返したりして、随分研究し、相撲に勝てるようになったんだって。
でもね、その北君は、交通事故で亡くなってしまったんだって。
炎鵬はその子の名、「晃(あきら)」から、「炎鵬晃」って名乗ってるんだって
言ってた。「その子の分も、二人分背負って相撲を取ってる」とテレビで
言ってて、はあ、なるほど、それは強くなる。それは負けられなくなるって、
好きになれました。
徳勝龍も炎鵬も(はあ、ようやくパソコンがこの名を覚えたようだ)勝つと
ものすごく嬉しそうだし、「その向こう」がある「眼(まなこ)の深さ」に
私たちは惚れるんだとつくづく分かる相撲でした。
一人で勝ちにいかない。一緒に相撲を取ってくれる魂が備わってる。
だから一人で勝たない。一人で負けちゃうと、自分と一緒にいる人も負けちゃう。
そうはいかない。頑張るぞ、っていうのが、その相撲取り一人にならない厚みを
備わせて、人柄と相撲を、ふっくらさせるのかもしれない。
そういう人間味の厚さは、誰からも予感を膨らませられるし、応援のしがいを
うんと長く厚くさせてくれる。
人生は上ったり降りたり、あがったり、折れたりデッコンボッコンしてるん
だけれど、底の方であえいでいるときにね、上の方を眺める気持ちって
「自分一人」でいるのと、「誰かと一緒にいること」で、まったく出だしも
のぼり具合も違ってくる。
それは「物理的に一人」かどうかじゃない。まぁ、物理的に居てもいいんだけれど。
その人が、自分に「備わってくれる誰か」を心根の中に一緒に住まわせて
いるかどうかってこと。「自分以外」が「ある」っていうのがすごく大事でね。
「うまくいった時」に「自分以外の誰か」がいるとさ、「自分の実力以外」の理由が
「勝った理由」に含まれて、謙虚になれる。奢らないで済むのね。
徳勝龍は優勝してから「勝っても負けても応援してくれる人たちのおかげ」って
自然に言ってる。これって、すごい言葉なんだよね。勝ってる時に。威勢良く
応援する人は、景気良くみえて映えるだろうけどさ、やってる本人は「負けてる時」
そばから離れないでいてくれた人にこそ、感謝を深くするじゃない?
それが人ってもんじゃない?映えない時、しょんぼり無様なときを「一緒に
過ごした」人を忘れる訳がないもの。
返せば「負けてる時に遠ざける人」にも訳があるし、「負けてる時に居て欲しい人」は
何事にも代え難い、本当に「宝」だと思う。それが分かる。
人は時々弱る。一時とかじゃなくて、数年単位で「弱る」時がある。波があるもの。
弱ってる時に離れた人のことも、人は覚えてる。気持ちを忘れない。それを他者に
味あわせるのか、反面教師にして封じるのか、ねじこむために敢えて使うのか、は
人によってそれぞれだろうけれど、その点で「負ける」「弱る」を真正面から
ガチンコで面食らう事は、すごく大事な事なんだと思う。
徳勝龍にも炎鵬にも、「負けてる時」に光を見せてくれた人がいたんだと分かるのが
すばらしく嬉しかった。彼らの勝ち方は、卑怯さがない。勝ってる人のおごりがない。
それは「人の姿勢の良さ」に惚れるのだ。
汚くても、強くても、勝つ人は勝つでしょう。
沢山の人が「良かったねー!」って惚れ込む勝ち方になる人には、一緒にいてくれる
人がいるんだよね。豊かに勝ってる。そこが素敵過ぎ!
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