作成日: 20/05/14  
修正日: 20/05/14  

届かせない言葉

つまらない人


安倍首相がコロナ騒動で何度か国民に語りかける場面を持った。聞いても聞いても、全然入ってこない。
重要な発表であるなら、ぜひ首相に喋らせないで欲しい。本当に人に届かない言葉に慣れすぎたんでしょう。

声が出るなら喋れている、わけではないのです。日本語を使っているから通じるってもんでもないです。
人に届く言葉って言うのは、ある程度訓練されていないと、耳から脳の途中にあるフィルタで、
がんがん削り落とされてしまいます。首相の「ただ長いだけ」の「真剣なふり」では耳にも届きません。

そういう言葉の方が便利なときもあるようで、国会答弁などは「音は立てているけれど」な言葉の方が
利便性はいいのでしょう。追求に対し、「応じた体(テイ)はとれる」具合の議論では、実はありませんが
時間は費やせます。

これに慣れると「ただ怒られない・つっこませない程度の無難な言葉」に終始しはじめて、ついには
「人の気持ちになんの訴求もできない」音になります。そうですね、車の騒音程度の存在でしょうか。
鳴ってはいますが、意味が伴いません。

表題に言う「届かせない」の部分、「音は立ててる」んだから、程度の応じ方で「返事」と称してる
人たちには「ただ無感情」に、棒でもみるように聞き流し、見流します。これが都合がいいのです。
自分のやりたい事には説明なんかしません。突っ込ませる餌を与える必要はないのです。そもそも
言葉にしてません。ですから説明もできないのです。どうなるかといいますと、「自分は一生懸命に
やってる」などという、端の人には理解しようのない次元に「引きこもります」。感情の説明に
走る振りをしはじめて、お茶を大いに濁します。卑劣です。卑怯です。なにより、幼稚です。
感情なんて、そもそもつかってないくせに。

ただ、曲がりなりにも国の一番偉い人が「こういう言葉の使い方」ですから、周りの人がしっかり
しなくちゃね。聞き逃さない、許さない、逃げさせないために、言葉に対して有効で協力な鍛錬を
しつけておくべきです。言葉で「勝つ」ことが目的でもないんですけど、「心に打ち込む言葉」を
持ってる人は、やっぱり最後に強いですから。

人を煙にまく事に慣れすぎると、顔にも言葉にも出て来ちゃって、もはや隠せもしませんね。
ほんとがっかり。