作成日: 21/12/23  
修正日: 22/02/09  

アメブロ総集編~20200815




コロナ禍、がんにも似たり
2020年08月01日 09時15分12秒
コロナ禍の罹患に関する限りで、患者さんの「反応」で一番近い病気は「がん」かもしれません。ただ無症状で陰性の方なんて、日常生活に何の支障もないのですから。痛くもかゆくないのに病気です、と銘打たれても、というやれやれ感すらあるんじゃないでしょうか。
 
「ウイルス禍のキャリア」としての「病人」でしかないので、「こんなの病気じゃねえ」って言いたくもなります。でも、本当に、病気なんですよね。しかも、人によっては「死んでしまう病気」。
 
癌、という病気にしても、がん組織そのものは、無症状で、でもとりついた組織の機能をじわじわ破壊し、ゆくゆくは生存ができなくなるまで疾患で埋め尽くしてきて、苦しくなるまでは健常者のような生活ができます。
病気なのに「痛い」か「苦しい」がないと、「病気って思いたくない」心理が勝ちます。ですからウイルス禍も、がんも罹患直後は「認めたくもない」が先走っちゃう。それを容認してる間に、「広まっちゃう」。しかも「根本的な治療法が確立してない」。
 
元気で過ごせてるうちは病気を抱えてても「気にしたくない」ことで、健常をふるまえます。でもね、検査で「病巣がある」ことは、もう、病気なんです。治療なり、療養なりに意識を置かないと、寿命に関わることなんです。
コロナ禍はそういう「人の心の弱さ」で広まれる伝染病です。そういう点では「抑え込む」こともできる伝染病でした。でも上述の理由から、広まってしまいました。
 
経済事情がどうとでも、あなたやあなたの仲間の誰かが病気で死んじゃうこと思えば、比較に値しません。この夏は、「広めない」一員でいなくちゃ。地味に、大事なこと。
アラン・パーカー監督訃報
2020年08月01日 11時58分43秒
”It’s could be anything that we want to be~”「どんなものにもなれるんだ~♬」(映画:ダウンタウン物語エンディング)って子供たちの歌う声が聞こえてくるよ!ああもう!
映画監督A・パーカー氏が死去#Yahooニュース
 
あああ、巨匠がお亡くなりになってしまった。「なんてかわいらしい映画を作る大人なんだ」っていう監督でした。「小さな恋のメロディ」「ダウンタウン物語」「コミットメンツ」どれもやんちゃではじけた作品です。そして21世紀にはお目にかかりにくい名作ぞろいでした。たっぷり楽しませてくれてありがとうございました。合掌。
 
冒頭の歌詞はこう続く。”It is not just too late to change~.”
「変わるのに、遅いっなんてことはないのさ♬~」
どんなに励まされたことか。どんなに元気に向かえたことか。ああ、もう最高!最高よ監督。ありがとう!
 
.ごきげん!なラインダンスは本編の中で!v( ̄Д ̄)v イエイ!
「慌てる」の解消
2020年08月01日 17時34分59秒
全然自覚がなかったんですけど、ロールシャッハテスト受けたときに、「知識はありますが、深く考えないで出し切ろうとする傾向」があるといわれて、「ある」と思いました。ものすごくせっかちにシフトが切り替わって、「忘れないうちに」ってずんずん出し切ろうとしてしまうのです。
 
でもそんなの、みんな一緒でしょう?と思ってましたが、そうでもないようです。もっと、とっくり考えてから、それまではゆっくり座ってでも考えてりゃいいようなんです。・・・いわれてみれば、できないかも。
接客してた時にも「なにをそんなに慌ててるんだ?」とお客さんに笑われたことがありました。クレームやトラブルは初期対応が命ですから、初動のスピードには血眼になってたのかもしれません。実際、初動で早い適切な判断なほど、事態は早期に収束しました。
 
そして、今でもそうした「慌てて決めようとする癖」が残っています。今は比較的自覚があります。決めるのに、材料が少ないうちにも、暫定的に決めたことにして、突っ込もうとしてしまうのですね。
 
「スピード決着」が自分を助けてくれたことが何度も体験則にあるため、隙を見たらそれにすがろうとしています。そう、すでに慌ててるんですよね。でも実は、「慌てないでもする解決」もあったはずです。つまり自分の得意なことだけに終始したがる、自分勝手だったってことです。
思えば、終始そうしたアドバイスをくれる友もいましたし、私はそれを聞き入れずに一人焦ってばかりいました。良くなかったな。「お前ら、焦ろよ!」くらいの見方、してたな。
 
まだ焦り癖は残ってるけど、不慣れな「慌てない」導き方ってものも、試してみようと、このごろ思うようになりました。あーどきどきするわ。
ひたすらうろたえたぁ~♬
2020年08月01日 20時20分19秒
パンプキンパイとシナモンティー byさだまさし
昨今の生活に欠く感性は、実はさだまさし先生なのではあるまいか。ふとそう思い、聞き直したら、ほっこりしました。
 
「ぼくらは~立場を~なくしてぇ~♬
 ひたすらうろたえたぁ~♪」
 
素晴らしい。実に人間賛歌でありますな。

下手の要求・泥棒に似たり
2020年08月02日 15時54分18秒
要求があるのなら、そこにそっと置いておきなさい。
危急なものなら、誰もが見つけてそれを叶える。
不要なものなら、捨て置かれ枯れる。
 
要求とは、声を荒げて為されるものではない。
明日もまだ夏
2020年08月02日 16時08分28秒
憎さはうんと遅らせよ。
これを使えば結果に混じる。
 
決めるときは、賢明さに任せよ。
多くの人が飲み込めるものがいい。
 
役に立たないものは、そのままに。
なくていいものは、そもそもそこにはない。
 
自分に分かるものだけで決めない。
あなたが知らないものを敵にさせず、味方にできる。
 
正しさより適切さ。
熱中症になりかけたら
2020年08月05日 12時41分39秒
私は熱に弱いので、この季節には殊更気を使うのですが、気を使ったところで熱疲労も熱中症も、少しも手を抜かずに襲ってきやがりますんで、対処法を私なりに有効だったものをご紹介します。
 
1、冷やす部位
 脇の下。またの付け根。内股部分、それに手のひら。首。後頭部。
 ここいらは血管がぎゅんぎゅん流れてるので、冷却すると冷気を伴って血流が流れやすいんです。
 可能ならズボンなど、腰を押さえつけてるような部分を緩めて下さい。私は靴まで脱ぎます。
 
2、危ない予感がしたら
 最寄りのコンビニ、ファミレス、などの冷房機器のあるところに即避難ください。もうろうとしていつ倒れるか全く予断を許しません。とにかく急いで冷やして下さい。人目なんか気にしないで。本当に急に襲ってきます。
 
3、運転中は本当に危険
 経験則上、街にはびこる高架の道なんて最悪です。急に熱疲労に襲われても、停車する事のできない事があります。渋滞なんかになったら、もうお手上げです。車内には「叩くと冷却ができるグッズ」や「冷却スプレー」を用意ください。首もとか、内股にペッットボトルなどで冷やすのも有効です。私の場合、腹部がすごく圧迫された心地になるので、特に焦ります。
 
4、熱を遮る
 運転中などではサングラスや、業者に頼んで遮光フィルターを装着しました。熱線を感じるだけで、もう不安に襲われます。打てる手だてはお早めに仕込んで下さい。運転席には背中から足まで風を送る送風機などあると有効です。
 
かくいう熱中症対策を仕込んだところで、罹(かか)るときは罹るので、屋外を歩くときは木陰を選んで、道すがら退避できそうな施設を目論みながら、どうかご自愛なさってご移動ください。
 
なんせ暑さは夏の顔。避けられませんので、大事をとって下さい。水分も摂ってね。ちゃお!
空気がいい
2020年08月05日 17時21分32秒
◆船場センタービル50周年記念短編アニメーション「忘れたフリをして」特設ページ
https://www.semba-center.com/50th/movie/
 
最初自分がなにみてるのか分かってなかったんです。でもみていて、ぐいぐい入っていけました。心当たりのある空気です。今、いる空気です。

小さくお願い神様
2020年08月06日 14時00分55秒
人が本当に医療で手だてがなくなった時、目の前に病人がいたら、なにをするか。あなたならなにをしますか。
 
さするんです。
痛いところとか、しびれるところを、治そうとかそういんじゃなしに、さすってあげるんです。そうすると、病気をした人は、なにかをうけとるんでしょうね。心持ちが良くなるのかもしれません。喜ぶんです。
 
薬も医療も間に合わなくなった時に、さすれるように、どうか神様、コロナを緩和して下さい。
昔威張っていた人ら
2020年08月06日 15時28分48秒
お役所で手続きをしにいきました。窓口で丁寧に応じてもらい、ものの5分で完了しました。手続き上、2名の方が入れ替わりましたが、スムーズなものでした。そこではたと、「あれ?お役所って前からこうだっけ?」とムクムクと記憶を手繰りました。
 
昔はなんだかもっと慇懃無礼な、大仰な感じで「行きたくないなあ」だったような思い出が頭の片隅にあるのです。昔は威張ってなかったかなあ?気のせい?
 
気のせいじゃないのは、「国鉄時代」の駅員の態度!!アレは酷かった。窓口の駅員の「そんな事も調べてこないできたのか?」みたいな態度は、私みたいに人見知りでは、おいそれと聞きにくい雰囲気があったのです。例え話してくれても「意味が分かんない」まんま、帰ってきたりした思い出もあります。JRになってから、そうした駅員さんは淘汰されて、つくづく良かったなあと思うのです。
 
学校の先生だって昔はバンボン殴ってたよねえ?耳に残ってるよ、グーで殴ってる音。正座のさせ過ぎで廊下を両腕で這っていた同級生だっていたもの。なんだったんだろう、地獄みたいなあれは。
 
どこいっちゃったんだろ、威張ってた人たち。「なんであんなに偉そうにしてたの?」と聞いてみたい。
かくばくだん
2020年08月06日 20時29分15秒
世界でただ一つ、戦争を終わらせるために、核爆弾を、人の住うところへ落とされた国が日本。人が生きて過ごしてるところに、核爆弾が落ちてきて、町ごと人も生活も木っ端微塵にして、焼き尽くした。それが2発、日本には落ちた。

キュリー夫人の記録してた本からはいまだに放射線が出ているそうだ。伝記の人の時代のものも、被曝は消え去らなかった。

国際社会では、軽々に核爆弾を準備して意気込む国も後を絶たない。この安普請なチキンレースたちは、広島、長崎で普通に生きてて、突然死ぬことになった人たちの無念を知らない。

突然全部燃えてなくなるという無念は、去るとは思えないのです。必ず、作用します。なかったことになんてしない。

核爆弾は弱虫がしがみつく武器。人の気持ちが一番ぞんざいに扱われる武器。
祈るのは冥福でいいのか。無念さはどうしたらいいんだろう。でかい拳骨で殴ったやつが勝つのが戦争。これは「強さ」なのか。生活してた人たちの頭上で大虐殺の光を浴びせた事は、強さなんだろうか。強いんだろうか。
オンライン
2020年08月07日 18時41分42秒
ご年配の方にはこの言葉はどういう風に映ってるんでしょう。「テレビ電話・みたいなもの」的な認識かしら。「会わないんだったら見れてもしょうがない」って人もいらっしゃるかと思います。せめてもの慰み以上にはなりませんが、顔を見れて、ちょっと嬉しいという感覚は味わえると良いですね。
 
時節柄、お盆になっていく訳ですが、コロナは本当にいろんなものを「前の通り」にしてくれなくしちゃいました。いまでこそ、「オンラインで」なんて政治家さんたちやテレビキャスターが訴えてきますが、心のどこかで「なんだよ、オンライン」ってなってるのも本当です。
 
来年に向けて「集まらない」「会わない」「触れない」文化圏が生まれはじめていくでしょう。デザインも前の3項がノーマライゼーションされて、席を空けたり、まばらに空間を取ってる事を見つけにくい社交が模索されていくはずです。「直に会う」ことが「贅沢」扱いになっていくのかもしれません。「安全」のために。
 
「オンライン」「リモート」、せめて来年には、お盆に馴染む日本語があって欲しいな。
ナビって部屋につけられないもんですかねえ
2020年08月08日 08時52分51秒
この記事を持ち上げる訳じゃないですけど、実際車載のナビシステムって「日常生活」に溶け込んでたら、結構利便性良いんですよね。
サイバーナビで「在車勤務生活」をしたら、本当の「働き方改革」に到達して人生充実した
 
部屋のインテリアにおいてあるオーディオやDVDたちより、うんとコンパクトにできてるのが車のナビシステムですよね。手の届くところに全部揃ってて、操作も比較的簡便にできるから、スイといじることができます。エアコンも手の届くところに、車内を冷やすだけのパワーがある。こういうのって、「部屋のインテリア」に使えわせてもらうことってできないんですかね?
 
日本家屋の狭さ、小ささにおいてはサイズ的にはぴったりでしょうし、一箇所で操作全般が済ませるコンパクトさは実に現代生活にマッチ。家ならWi-Fiもあるし、ネットもし放題。良いと思うなあ。
 
避難所とかにも、このサイズって使えると思うんですよね。なかなかのラグジュアリー空間できるっておもいません?
帰宅して家にあった炭が母
2020年08月09日 15時23分01秒
正直、もう想像が追いつけないのです。多分気持ちの中で、追いつけないことにしてしまってるようです。

「母」が「新型爆弾」で「炭」になる時代が、ほんの75年前の日本で起きていた。落としたのはアメリカ軍で、長崎に落とされたばかりに、この記事の方はお身内を亡くされた。急にお母さんと会えなくなった。亡がらは炭になるまで生きていた人をそのまま焼いた。
 
こんな「強さ」でしか、人は勝てないと未だにいるんですね。この勝ち方は、もう、人の勝利と詠えない悲惨さなのに。
まったく、謝れないんで
2020年08月09日 22時28分13秒
謝って済むのなら、私は謝って済ませてしまいたい方です。自分か相手か、どっちが正しいか?よりも「謝って欲しそう」な人が相手の場合、けっこう謝れると想ってました。
 
ところが鬱を患ってから、「謝らなきゃ済まない人」に謝るのも嫌になって、途絶を選びました。治んないからです。気を使わされてばかりだったのが、自分を痛める結果になったので、病気を機に謝らなきゃならない状況そのものを離れました。
 
世間では「謝るのは当たり前」みたいな風潮もあります。一旦謝っておけ、というのもあります。あれって、良くないですね。自分にも、相手にも、間違った認識を渡していると想います。「本音」を無視し続けた結果は無惨なものでしたし、「気が済んだ相手」はあんまり、もうどうでもいいのです。
 
おかげで元気になってきました。そーゆーことですので、このままいきます。あしからず。
届かなくちゃ
2020年08月10日 08時15分48秒
広島、長崎の原爆投下の日がありました。日本の首相の安倍さんが話す機会がありましたが、どうにも心に届かない印象が拭えません。言葉は届くものを渡すことで成り立ちます。音を出してたら喋ってる、ってものでもありません。伝えておきたい気持ちが声になって、塊になって、人に渡されるのです。式典などの辞はことさら言霊の重さを見られているのですから、そこに重きがあってしかるべきです。
 
聴衆もなにごとか渡してくれる念を期待し、耳をそばだててくれる機会なのです。それをこうも儀礼的に終始し、渡す念も持ち合わせてないかのような姿勢が見えては、さすがに弱るのです。ひとりごちて、ぽーんと投げるのが言葉じゃないんです。
 
言葉は、届かなきゃ。
 
ファンタの由来
2020年08月11日 12時05分16秒
夏だね!暑いね!皆さんコーラとか飲みますか?コカコーラの成り立ちを調べてたら、ファンタの事が分かってきまして、ちょっと驚きでした。
 
世界大戦時に、コカコーラの輸入が禁じられたドイツにて生まれたのがファンタなんですって。果汁入りの、炭酸っぽい清涼飲料目指して、できたのがファンタ。ほほーう。
 
ファンタ(Fanta, [faːnta])は、コカ・コーラのドイツ法人が開発したフルーツ味の炭酸飲料のブランドで、アメリカのザ コカ・コーラ カンパニー(コカ・コーラ社)やそのグループ企業から発売されている炭酸飲
 
 
知らないもんですね。思わずファンタグレープの2L買って来ちゃいました。たまに飲みたくなるファンタ!ほんとは「アップル」飲みたいのに、あんまり売ってない!
 
周庭さん保釈
2020年08月12日 02時12分09秒
こんなに馬鹿な政府の判断は見た事がない。なぜ逮捕したんだろう?世界が一斉に中国の敵になってしまったんだ。彼女一人に、中国が、負けてしまった。前代未聞だ。
秘める胸の内
2020年08月14日 08時15分51秒
人は言葉を使えるけれど、思っている事を上手に出すかどうかは、人によって加減があります。大人になるにつれ、「話さないで胸にしまっておく」方が、事態をきれいにおさめることになると思えば、大人は上手に胸にしまえます。その胸へのしまい方は、人によって上手下手がありますけれど、「しまっていない大人」は一人もいないことには気づけます。
 
大人が「思ってる事、全部出す」ときは、滅茶苦茶になることを覚悟してるときです。周りの事なんか知ったこっちゃねえ、となったときに、カッとなった勢いを借りて、やっとこさ、出すのです。エネルギーがいるのです。勢いがいるのです。
 
大人が素敵なのは、相手が「黙っておいてくれているもの」を見つける目があることです。喋らなくても、伝えなくても、「察する」という力場が見えていて、すいと拾い上げるのです。
 
おかげで「胸に秘めておくしかなかったもの」を抱えている人は、「察しているかもしれない人」のありかたに、言葉にしないまま、「ありがとう」とまた、胸に秘めるのです。
 
実は子供も随分それについては達者です。大人より上手で、大人より多く、それをしているかもしれません。ただ、「悲しそう」「大変そう」はわかるので、「分かんない」ふりをして、口をつぐんでくれます。とても自然に。
 
優しいなあ、ってことは、「胸に秘めておいてくれてる」人たちの集団に感じられます。「お互いの、いわずもがな」は本当に繊細でタフな、こころくばりです。

たにんのなかにじぶん
2020年08月14日 09時31分30秒
私は私の事を知っている人の中には、「私の場所」が確保されていて、私以上に、「その人に取っての私」像があると思ってます。実際の私ではなく、その人が私に感じた印象の「私」です。一面、本人が思ってるより当たってます。
 
その人が私を覚えてる以上は、その場所はずっと確保されます。例え私が死んでも、その場所を相手が「残す」としたら、その場所に居続けます。
 
私がへこたれてる時には、相手が「そんなのお前じゃない!」というのは、相手の中の私像より、実際の私が劣っているから、がっかりしたくないのでしょう。嬉しい事です。
 
「この人はまだあきらめてるようには見えんじゃんね」と途方に暮れてるようにいう言葉にすら、他の誰にも感じない応援を、いつも凹んだ時に見舞ってくるのです。やめれんじゃんねー。
戦争が終わって75年経ちましたね
2020年08月15日 15時34分11秒
お国のために、みんなで一斉に過ごしていた時代。政体としての「お国」はなくなり、米国に占領された時期を経て新しい国になった日本。「お国のため」を号令した人は、どなただったんでしょう。そのときには、正しい考え方であったことを、今の時代から「おかしい」とかいうのも、なんだか違うと思うのです。
 
お国のために、命も捧げた時代は、75年前に終わっていますが、ほんの76年前にはまだ「お国のため」でした。
75歳までの人は「戦争があったらしい」ですし、76歳以上の方は「戦争の中で過ごしてきた」方々です。ご存命の方々と、私たちはまだ戦前戦後を体感してきた人々と同じ時間に過ごせているのです。軽々に「戦後だし」で済ませられない生き方のさなかにも立っています。
 
私は日本人の心には、まだこの「お国のため」みたいな「みんなでなんとかしよう」という気持ちはあると思っています。思いやりの気持ちとしては尊いのですが、こうした「団体意識」で私自身はいくつか取り戻せないものも体験しました。集団行動や正義漢に基づいた号令には近づきたくもないのです。
 
 
今の時代に以降でも「みんなが困ってる・・・・お国のために」は再燃できる素地があるのでしょう。利他の気持ちとしては大変優れておりますが、個人の尊厳の破壊に、歯止めの利かせ方がないうちは、戦争時に似た乱暴もまたはびこる事でしょう。
 
戦時に邪魔な民間人が戦車の前にいた時に「轢き殺していけ!」と号令したという話が本当のものかどうかは知りませんが、私の印象の中の残虐さはこの言葉に出てると思います。「勝つために、殺せる」のは、どうにも不幸です。殺す側も、殺される側も。
 
経済格差の解消やうやむやさ、ガス抜きなどを経由してでも戦争は発端となり得ます。ある意味「うやむやさをまかり通す」ような雑な仕上げ方です。人の智慧が易々とこれに負け続ける現実、その歴史が、止まる事は念じる他ないのでしょうか。