作成日: 22/03/06  
修正日: 22/03/07  

なにかにならないといけないという思いに縛られて、

どんな人間に成りたいかをすっぽり抜けていたように思います


「銀の匙」アニメ 4話。中学時代の担任が主人公八軒を訪ねて蝦夷農なる高校でいった台詞。

「中学生の時の八軒はなにかにならないといけないという思いに縛られて、どんな人間に成りたいかを
すっぽり抜けていたように思います。こちらなら、なにかつかめるのではないかと思って
放り込んでみたのですが、正解でしたかな?」


若いうちは誰もがこうした悩みに足をすくわれ、迷わされ、目標を持たねば、なにかにならねばという
報われようのない思案の拘泥されて、随分とぬかるみの道をゆくものです。

迷って歩んでる間に閃いたり、仲間が助けてくれたりと、「やってみるまでは、出会いもなかった」
ことににまみれて、振り回されて、居場所をいつのまにか見つけている。見つけられない時もある。

人生は結果じゃないんだよ。いつだって、なんだって、やってる途中とか、過程そのものなんだ。
「解釈」はどうとでもできるけれど、本当は「過程のど真ん中でうろたえている」こそが、生きてた
瞬間なんだよね。迷ってるのも、困ってるのも、ほんとは、味わってるんだよ。