違うね。冒険とか挑戦ってのは後戻りの保証のない、ずいぶんと悲しい
ものなのだ。今持ってるほとんどのものをなくすッてことが分からない人に、
進むってことの恐怖は分かってないと思う。だからふつうの心持ちでいる人にとって
進むってことは、なきながら、怖がりながら、ALL OR NOTHINGへ
挑む、一種の賭けなはずなのだ。
自分の今持ってるものが、これから挑もうとしていること以上に大事なものなら
人は挑まないで済む。いや、済ましてしまう。
挑むってことは今、持ってるもの以上のところに、あなたが進もうとして、
今、持っているものを心のどこかで「ゴメン」っていいながらあきらめ、
また、一からはじめなならんことろに自分をすすめることなのだ。
そうするだけのものが君の前にあるとは限らない。まったくくだらない結果に
君はしょんぼりするかもしれない。それでも挑むってことは、あなたが自分の
見込んでいるものを信じているから、なのだ。
あなたが信じてる、ってだけで、周りの恋人、友人、家族を、あなたは今、犠牲に
しなくちゃならない岐路に立っているか?挑むってことは本当に恐いことなんだ。
だから誰の前進であっても、いつも泣きながら、なのだ。
私は他人の前進、挑戦をそうしたバロメータで見ている。どいつもこいつも
口先ばかりのへなちょこばかりさ。そんな中のひとりだからこそ、ぼくらは
挑まざるを得ないことに気づけ。進め!怖がれ!泣け!泣いていない挑戦者を
私は信じない。挑んだ分だけが、あなたの取り分なのだから。