効果というものについて
ですから「映像」について勉強!つっても今みたいにレンタルビデオなんてな
ものはなく、ましてビデオデッキ一台20〜30万の御時世でした。高校生が
手に入れられるものじゃなかったのです。8ミリフィルムの映写機、撮影機は
ありましたが、知識として「映像」を学問するには実にインフラ整備0!な
町なのです。
で、何を血迷ったかアタクシ「辞書」から「映像」「映画」「ビデオテックス」
等ひくところからはじめました。それらの言葉の意味、からこまめにノートに
まとめはじめたのです。
前述のようにアタクシはあくまで「受験勉強」だったので、「きっと映画や
テレビの特殊言語を聞かれるにちがいない!」と少々常軌を逸した着想で
映像にまつわるターム(専門用語)ばかりノートに書き写していきました。
ちなみに大阪芸大というところは大学の偏差値表の欄外に記載されるような
学校でしたし、赤本(受験生必須の前年までの試験内容を記載した本)買っても
ろくろく「問題」らしい試験内容がなく、一体どんな受験させられるのかも
対策がたてられないような状況でした。さんざんうなってから「仕方ない」と
半ばあきらめたようにタームのメモをはじめたのです。
当時は「SFX」なんてのが映画の本流として力をもってる御時世でしたから、
おいおい「特殊効果とは・・・」なんてなウンチクが「辞書」にも「現代用語の
基礎知識」にも出てきます。「む?『効果とはなんぞや?』なんて質問されたら
どうしよう?」と几帳面な心配までするアタクシは「効果」を辞書で引くことに
なります。
大雑把にいうと「効果」とは「あるものに触れたり、通過することで、その前後に
なんらかの変化を表すこと」らしいのです。
映画館で例えましょう。映画館に入る人は映画を見る前とみた後では物理的に
変化はありませんが、心が穏やかになってたり、怒ッてたりします。これは
「映画がその人に『効果』した」のです。映画を介してその人になんらかの
変化を与える、そのことが「効果」なのです。
泣ける映画で泣いた人には「泣く」ほどに「効果」があったのです。
クソつまらねえ映画で「怒った」人には「怒っちまう」ほどに「効果」が
あったのです。しかし「なんともない」映画は「効果がなかった」のであって、
「つまんなくて怒る」映画以下の価値といえます。なんら感情に訴えないことは
その映画をみても見なくてもよかったのですから、ただ時間のロスをしたのです。
以上の事から、「効果」という言葉にアタクシは妙にこだわることになります。
どんな作品を作っていくことになるにしろ、「効果」が得られる作品にしよう、
できることなら好感を持ってもらえる作品にしよう、などとひとりごちたものです。
このHPにしてもそうでしょう。ここを読んでなんとも思わないってのが
「効果ナシ」なのです。アタクシのページを読み終えて他のどなたかのページに
ジャンプするときに、ふと、このページ入る前にはなかったものが、その人の
心のどこかにドッカリと腰を落ち着けていることを期待して、アタクシは
コンテンツをつくっています。わざわざこんなことを書くあたりがワシらしい。
「怒らせる」とか「嫌がらせる」「泣きたくなる」これらもすべて「効果」です。
ホラー映画、スプラッタ映画、昼の奥様番組(泣かせ、暴露、不倫、暴力など)が
こんなに堂々とまかり通っているのは、それらに触れて通ると、見た人に
「大きな感情」を生むからです。ある気持ちが生まれるからです。そうした
効果を自分に期待して、人々はそうした作品に触れます。
効果、は映画に限りません。食事もお風呂もトイレもすべてに効果はあります。
それらをすること、通ることで、ワタクシたちはいちいち心境に変化を
与えています。自分の好みに近いものを周りに集めるのは「自分が一番
好きな効果」を自分にたくさん与えるためですよね。例えば音楽なんて
わかりやすい。好きなCD,MDを聞くのは自分に襲い掛かってくる感情を
期待してのことです。ムードを高める音楽、気分を晴らす音楽、慰めの音楽。
あなたはあなたに会いに来てくれた人に、あなたの期待する「効果」を
与えていますか?あなたに会うことで、あなたはだれかに「効果」しています。
「良く」ても「悪く」ても効果しています。あなたは誰かの「感情」の一部、
であるかもしれません。「アイツにあいたい」「あの人と話したい」、それは
その人に接しなくては得られない感情が、あなたの中に見えているのです。
ながやのHPに来る人には、ながやの「効果」があります。アタクシはそんな
効果をいくつか出すことでいいんだと思います。そう、ながやなりな効果。